kenishii(ケン・イシイ)とはどんな人物?
ケン・イシイは日本を代表するテクノアーティスト/DJで、日本のクラブシーンのパイオニア的な存在として知られています。
デトロイトテクノに影響を受けながらも東京をモチーフとした東洋的なサウンドが魅力的で、学生時代にデモテープを製作しました。
また高学歴なこともあって機材を改造するなど繊細な音作りについても熟知しています。
kenishii(ケン・イシイ)の本名
ケン・イシイの本名は「石井健」となっており、アーティスト名義と同じ名前で活動を行っています。
ファンからは「けんちゃん」「ケニー」と言ったニックネームで親しまれており、「東洋のテクノ・ゴッド」の異名も取っています。
また、FLR、Rising Sun / Yoga名義での活動も行っており、表現したい音楽スタイルによって名義を使い分けています。
kenishii(ケン・イシイ)の生年月日
ケン・イシイの生年月日は、1970年5月12日生まれの2019年現在49歳のアーティスト/DJです。
Wikipedia等では1月1日生まれと紹介されていますが、正確には5月12日となっています。
テクノシーンを同じく牽引してきた電気グルーヴの砂原良徳も同世代となっており、テクノシーンのパイオニア最年長世代でもあります。
kenishii(ケン・イシイ)の出身地
ケン・イシイの出身地は北海道の札幌市になります。
中学生の時点では東京での生活を送っていたため、北海道生まれ東京育ちというプロフィールとなります。
高校、大学を卒業してからも東京を拠点とし、一年の半分以上を海外で過ごすなど多忙な日々を送っています。
同郷のDJにはDAISHI DANCEやSHOTAなども有名となっています。
kenishii(ケン・イシイ)の学歴
ケン・イシイの学歴は、筑波大学付属駒場中学校、高等学校から一橋大学社会学部へ進学し、無事卒業しています。
エリートで超高学歴でもあるアーティストとして知られており、大手広告代理店最大手の電通に就職しながら音楽活動を行っていました。
DJとして成功をおさめてからは電通を退社し、音楽を中心とした生活を送っています。
kenishii(ケン・イシイ)の活動期間
ケン・イシイは1993年、23歳の時に本格的にDJとしてのキャリアをスタートさせました。
この時製作したデモテープがベルギーのテクノレーベルの目にとまったことでデビューすることとなります。
その後もテクノを中心とした楽曲製作やDJプレイによって90年代のクラブシーンを牽引し、現在でも数多くのイベントでDJプレイを披露するなど、第一線での活動を継続しています。
東洋のテクノ・ゴッドkenishii(ケン・イシイ)
テクノ界では知らない人はいないというほどのレジェンド的な存在として、後発のテクノアーティストから崇拝されているケン・イシイ。
「東洋のテクノ・ゴッド」の異名にふさわしく、これまで海外からも高い評価を受け、数々の賞も受賞しています。
長きに渡って日本のシーンを牽引してきたパイオニアとして、ストイックに音作りを追究する姿勢を貫いている彼ですが、その音楽性のルーツやスタイル、デビューのきっかけについて迫って行きます。
海外で評価される実力はテクノミュージシャン
ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オセアニアなど数々の国でDJをこなしてきたケン・イシイは海外でも高く評価されているテクノミュージシャンです。
1990年代以降、海外で本格的に評価された初の日本人テクノミュージシャンとして知られており、日本のテクノシーンにおいてもパイアニアとしての存在感を放っており、多大な功績を残しています。
オリエンタルでインテリジェントな楽曲が特徴
東京の雰囲気を醸し出したオリエンタルな雰囲気を個性としたピュアなテクノミュージックをルーツとした音楽性で、繊細な音作りと、コズミックな印象のある楽曲性が特徴となっています。
後期ではドラムンベースやジャーマンニューウェーブ、ジャズや民族音楽なども吸収し、発展した形態でのテクノへのアプローチを試みています。
学生時代に作ったデモテープがR&Sレコーズで採用
1993年に製作したデモテープ「Garden On The Palm」(手のひらの庭)が、ベルギーのテクノレーベル、R&Sレコーズに採用されたことでリリースにこぎつけました。
これまでになかった東洋の雰囲気をまとったテクノミュージックがクラブシーンに衝撃を与え、ケン・イシイの伝説をスタートさせる歴史的な一曲となり、世間を騒然とさせました。
1993年 1st『Garden On The Palm』でテクノチャート1位獲得
「Garden On The Palm」はイギリスを中心に大ヒットを記録し、「NME誌」テクノチャートで1位を獲得しました。
7曲入りのアルバムとなっており、デジタルシンセM1のみで作曲された楽曲ながら、天才的なビートアプローチとテクノに対する斬新な解釈が、世界でも通用することを証明しました。
マニアックな音作りながらも陶酔感の高いループを中心としたサウンド構成が抜群で、現在でもジャパニーズテクノの原点として愛され続けている作品となっています。
シングル『Pneuma』もテクノチャートで1位獲得
R&Sレコーズよりシングルリリースされた「Pneuma」においてもテクノチャートで1位を獲得しました。
ヨーロッパでの成功が、日本に逆輸入するという形で存在が周知されることとなり、日本出身の電子音楽のアーティストとしては当時異例とも言えるデビューとなりました。
デトロイトテクノなどの硬派な音楽に影響を受けたスタイルがしっかりと表現された楽曲となっており、現在でも名曲としてクラブプレイされるなどの根強い人気のある作品となっています。
1995年2ndフルアルバム『Jelly Tones』
1995年にリリースされた『Jelly Tones』もケン・イシイの代表作として挙げる人の多い名作となりました。
1曲目「EXTRA」以外は暗い音像のトラックではありますが、本質的なテクノミュージックの硬派なスタイルが魅力的で、スペーシーでアンビエンスなスタイルで表現されたハイレベルな内容に、世界中から高い評価を受ける事となりました。
ブレイクビーツにも近い解釈を取り入れ、より自由な電子音楽のスタイルを確立しています。
映画「AKIRA」の森本晃司監督が手掛けたPV
『Jelly Tones』収録の1曲目「EXTRA」のミュージックビデオを、映画「AKIRA」のアニメーション作家、森本晃司が手掛けています。
90年代とは思えないほど近未来的で、不可思議な雰囲気、アニメクリエーティングのレベルの高さが、陶酔感のある楽曲と見事にマッチングした作品で衝撃を与えました。
後のPVクリエーターも参考にするクオリティーの高さで、イギリスの「MTV DANCE VIDEO OF THE YEAR」も受賞しました。
ダンス・ミュージック界最高峰DJ AWARDSでBest Techno DJ受賞
ダンス・ミュージック界で最高峰のDJ AWARDS「Ibiza DJ AWARD」において、2004年にBest Techno DJを受賞しました。
日本のテクノシーンのみならず、名実共に世界一の称号を獲得し、テクノレジェンドとしての地位を盤石なもとのとしました。
それ以降ベルギーで行われているビッグフェスティバルや、政府公式のイベント行事のDJを担当するなど、ハイレベルなフィールドでのプレイもこなしていく発端にもなりました。
kenishii(ケン・イシイ)の注目トピック
その類い稀なるセンスとオリエンタルな音楽スタイルで、世界が注目するテクノミュージシャンとなったケン・イシイは、その後クラブシーンを飛び越えて世界レベルの大規模なイベントの楽曲提供や、DJプレイを経験することとなります。
硬派なテクノでアンダーグラウンドな雰囲気の音楽性ながら、世界に通用する日本のトップテクノアーティストとして華々しい舞台で活躍するケン・イシイ。
そんな彼の注目トピックについて紹介していきます。
長野オリンピック・オフィシャル・オープニングテーマ・インターナショナル版を作曲
1998年に開催された冬季長野オリンピックにおいて、オフィシャル・オープニングテーマのインターナショナル版をケン・イシイが手掛け、世界70カ国以上でオンエアされました。
冬季オリンピックと聖火の炎、情熱をイメージしたタイトル「Fire In White」は、ケン・イシイの公式ベストアルバムにも収録されています。
愛・地球博で瀬戸日本館の音楽を手掛ける
2005年に開催された「愛・地球博」で、政府が主催している瀬戸日本館の音楽プロデュース、音響設計をケン・イシイが担当しました。
経済産業省の管轄にあるパビリオンで、「つなぎ直そう。人と自然」をコンセプトとした展示などが行われ、アートギャラリーや叙事詩劇などが集う会場の雰囲気にマッチした楽曲の提供で、プロジェクト成功の一端を担いました。
2011年に英国アカデミー賞音響賞ノミネート
2010年公開のサイコスリラー映画「ブラックスワン」の音響をケン・イシイが担当し、2011年の英国アカデミー賞音響賞にノミネートされました。
当時盛り上がりを見せた映画作品で、権威のある賞へのノミネートということもあって話題性も高く、ケン・イシイの繊細な音響設計が世界に認められる賞歴として名を刻むこととなりました。
ミッドタウン館内のBGMミックスを担当
東京ミッドタウンの音楽空間演出「Tokyo Midtown Soundscape」の「ガレリア」でのBGMミックスをケン・イシイが担当しました。
めまぐるしく流行が移り変わる音楽シーンでアルバムを創るモチベーションが保てなかったと語るケン・イシイが、ダンスミュージックに依存しない音楽に活路を見い出すきっかけとなったプロジェクトで、それ以降多様なジャンルのアーティストとコラボレーションすることになります。
世界的通信社のロイター通信も注目
世界的な通信社でもある「ロイター通信」が、アカデミー賞やオリンピックの音響等でインターナショナルに活動しているケン・イシイに着目し、インタビューを行いました。
このインタビューでの内容は、世界に向けた報道として発信され、全世界の新聞や雑誌にも掲載されました。
およそ10億人が目にすることとなり、世界での知名度をさらに拡大していくきっかけともなりました。
別名義での活動内容
楽曲製作面でモチベーションが不足し、10年以上のブランクがあったケン・イシイは新しいプロジェクトを立ち上げて楽曲製作を再開します。
ケン・イシイ名義の場合は、ストーリーや自身のコンセプトを作り込んでから発信するスタイルで、別名義の際はストレートに自由度の高い音楽を発信するというスタイルで活動する、という方向性を確立しました。
プロジェクト「FLR」
ケン・イシイが復帰後取り組んだ「FLR」というプロジェクトでは、DJプレイに適したアッパーなダンストラックにこだわることを徹底的に追究することをコンセプトにしています。
鍵盤を触って出た音を軸に構築していくなどの自由度の高い作曲や、ふと浮かんだインスピレーションを大事にし、テクノらしいフォーマットにはない感覚的なトラックメイクを主体としています。
初のCD『EASY FILTERS』
FLR名義の初リリースとなった「EASY FILTERS」では、フロアユースでストレートなダンストラックがミックスされており、これまでの作風の暗い音像とは違った明るくダンサブルなムードに特化した内容となっています。
Ken Ishii presents Metropolitan Harmonic Formulas
アニメ「ルパン三世」でも知られるジャズシーンのカリスマSAX奏者、菊池成孔や、クラブジャズのパイオニアJazztronikなど、異なるジャンルのアーティストとフィーチャーしていくプロジェクト「Ken Ishii presents Metropolitan Harmonic Formulas」を立ち上げました。
エレクトロとジャズをクロスオーバーするなどの試みで、クラブシーンに新しい風を巻き起こすことになりました。
kenishii(ケン・イシイ)の代表曲
デリック・メイなどのデトロイトテクノアーティストに影響を受けながらも、日本式の解釈でオリエンタルなサウンドを取り入れた中毒性の高いトラックを製作しているケン・イシイ。
近年はエクスペリメンタルやドラムンベースなども取り入れながら自由度の高い作品を生み出していますが、そんな彼の代表曲、有名楽曲について紹介していきます。
EXTRA
アニメーションとテクノトラックが絶妙にマッチングしたケン・イシイの代表曲です。
不思議な世界観には近未来的な東京の雰囲気が表現されており、現在でも現場で愛されている楽曲として多くのテクノファンから支持されている作品となっています。
Garden On The Palm
一つの機材から紡ぎだされたオールドスクールテクノの雰囲気溢れる一曲です。
デビューのきっかけになった作品で、アブストラクトでダークなムードながらもアシッドで陶酔感のある作風が魅力となった楽曲に仕上がっています。
Future is what we are
2003年リリースの作品で、オリエンタルなメロディーラインとハードテクノが融合した楽曲です。
90年代の作風に比べて明るさの際立ったトラックとなっており、近代的で硬質感のあるサウンドが魅力的な一曲となっています。
Flurry
1994年リリースのアルバム「Inner Elements」収録楽曲です。
内省的でありながらも力強さのある解釈でテクノトラックを体現した作品です。
特徴的なメロディーラインと、ループの持つ陶酔感が絶妙に融合した内容となっています。
Sunriser
2006年リリースの作品で、多幸感のあるシンセサイザーの音色が特徴的な楽曲です。
ダンサブルなイントロからアンビエントに近い煌びやかな展開で、美麗な世界観を構築しており、アーバンな空気感を醸し出している一曲となっています。
kenishii(ケン・イシイ)が販売した楽曲一覧
シングル
Switch Of Love (Rising Sun名義) (1993年)
Samsara (+8/Utu名義) (1993年)
Deep Sleep (1993年)
Pneuma (1993年)
Tangled Notes (1994年)
Nettin Pure 1 (Reel Musiq/Flare名義) (1995年)
EXTRA (1995年)
Nettin Pure 2 (Reel Musiq/Flare名義) (1995年)
STRETCH (1996年)
Circular Motion (1996年)
Echo Exit (1997年)
ICEBLINK -Theme Track For WHITEOUT- (2000年)
アルバム
Garden On The Palm (1993年)
Inner Elements (1994年)
Reference To Difference (1994年)
Green Times (1995年)
Jelly Tones (1995年)
Grip (sublime/Flare名義) (1996年)
Re Grip (sublime/Flare名義) (1996年)
Metal Blue America (1997年)
Sleeping Madness (1999年)
Flatspin (2000年)
Future In Light (2002年)
SUNRISER (2006年)
Daybreak Reprise -SUNRISER Remixed- (2008年)
kenishii(ケン・イシイ)のライブ情報
今後の出演情報
2019年6月28日「Carl Craig ‘Detroit Love vol.2’ Release Party」@Contact, Tokyo
2019年7月5日「Alive presents Hard Times feat.AnD」@Sound Museum Vision, Tokyo
2019年7月19日「Black Chodes Experiments」@Moog Club, Barcelona
2019年7月20日「Black Chodes Experiments」@Sala Zenith, Madrid
2019年8月23日「Global Ark 2019」@菅沼キャンプ村, Gunma
2018年までの出演情報
ケン・イシイは世界中のあらゆるイベントに多く参加しています。
日本での直近では、
2018年4月14日「WOMB 18th Anniversary」@WOMB, Tokyo
2018年9月15日「Ultra Japan 2018」@Odaiba Ultra Park, Tokyo
2018年12月31日「Vision New Years EVE Party」@Sound Museum Vision, Tokyo
などのビッグパーティーでDJプレイしています。
毎年DJ Yamaと「REEL UP」を開催
ケン・イシイは自身の所属するサブライムレコーズのDJ Yamaと「Reel Up」というイベントを主催しています。
1997年より続けている長寿イベントで、多くのテクノファンを魅了しています。
まとめ
今回はテクノ界のレジェンド、ケン・イシイについて紹介していきましたが、いかがだったでしょうか。
ピュアなテクノから現在ではあらゆるジャンルの音楽性を吸収したスタイルで、アーティスティックな楽曲性の追究を行っています。
DJとしても活発に活動していることもあり、これからの一層の活躍にも期待できるアーティストとなっています。